初めて買ってもらった腕時計のお話

高校入学後に生まれて初めて買ってもらった腕時計がCITIZEN SEVEN STAR ACSS 2946-TAという学生向けのような腕時計で、SEIKO 5 SPORTSCTIZEN SEVEN STARで人気を二分していたのを思えています。どちらかというとSEIKOのほうが人気があったような…

時は1970年、1970年と言えばアポロ11号が月面着陸した年です。心から欲しいと願った腕時計はアポロ11号の宇宙飛行士が腕にしていたOMEGA SpeedMasterでした。SpeedMasterの価格は当時98,000円。とても高価で買えるものではありませんでした。
CITIZEN SEVEN STARが1万円を少し超えるくらいの価格だったと記憶しています。

高校一年生の頃は腕時計に使われている石の数が多いほうが“良い時計”みたいな風潮がありました。自分の持っている腕時計の石の数が多いほど良い時計だと思いこんでいる学生の殆どは馬鹿なんです。

毎朝、TVやラジオの時報で時計をハックしてくるのですが、学生のひとりでそいつの腕時計はいつも1分遅れて居たのです。

「どうしてお前の腕時計はいつも1分遅れているんや?」と聞いたらなんと答えたと思います?

そいつ曰く「ラジオの時報で合わせているんや。TVの時報はラジオより1分早くて、正確なのはラジオの方や。」と言い切っていた奴がソイツです。

やはり馬鹿ですねえ、高校生は。

そんな時代を過ごしてきたCITIZEN SEVEN STARでしたが、1974年の秋10月24日(木曜日)秋晴れだった午前11時頃、大阪芸大を出て北に向かった矢先の出来事でした。前を走るスカイラインバンが左に寄ったので、それを追い越そうと右に出た途端、そのクルマが右にハンドルを切ったのです。避ける間もなく運転席側のフロントピラーにバイクごとぶつかり、微かに聞こえる人の声…
『偉いことしてしもうた…』という男性の声が遠くに聞こえるのですが、私は腕を動かすことも声を出すことも出来ずに意識を失ってしまいました。

意識が戻ったのは3日後でした。

バイクに乗っていた私とともに事故にあった腕時計のケースやガラス面には地面に擦り付けられた傷があちこちに付いてしまいました。

そんな事故を経験した腕時計ですが、今でもしっかりと動いてくれるのは機械時計ならではですね。

1960年代のSEIKOとCITIZEN

この2本の腕時計は私が物心ついた頃から我が家にあったものです。

どちらも父親が腕にしていた時計です。

ひとつは“CITIZEN Alarm 41-15078”というゴールドフィニッシュのモデルでアラームが付いています。

そしてもうひとつは“SEIKO LoadMarvel-15023E”というステンレスケースのモデル。先に上げたCITIZENSEIKOのどちらも手巻きモデルです。

父は既に他界してしまったのでこの時計を買った謂れなどを聞くすべはありませんが、最初に買ったのはCITIZENのようです。その後はSEIKO LordMarvelを腕にしていたのを記憶しています。

私が高校受験のときに父親から借り受けたのがCITIZEN Alarm 41でした。

24年行方不明になっていた腕時計が見つかった

昨日から居間の配置換えを妻がやっていて、要るものと要らないもの捨てるものを選別しているのを横目で見ていました。

古い地図や書籍などの捨てるものがたくさん出てきた中で、「こんな綺麗な箱が出てきたけど、中に入っている時計は要らない時計なの?」と言われて、蓋を開けてみると、ハミルトンの箱の中に入っていたのは長い間探していたSEIKOアルピニストでした。居間のショーケースの中に紛れ込んでいたなんて全く覚えていない😅

アルピニストに採用されているムーブメントは昔52系ムーブメントを搭載したキングセイコーやキングセイコーの復刻版やクレドールなどでも採用されている高級ムーブメント“4S15”が搭載されている(らしい)。
自動巻きローターが入っている割に厚みは薄くて実測10.6mm(サイクロプスレンズを除く)。
私が勤めていた頃に腕にはめて使い倒していたので、小傷はあるがまだまだ綺麗な状態を保っています。

1999年頃から行方不明❓になっていたSEIKO ALPINIST 4S15-6000 SCVF005(黒文字盤)が出て来てからこの時計ばかり腕にしています😆

せがれにこの時計の話をしたら「僕が高校生の頃にワンゲル部にいた時にお父さんが貸してくれた。」と話していたので漸く腑に落ちました。
どおりで私の部屋には無くて居間の化粧棚に置いてあった訳だ。

少し前から探していたら26年ぶりにヒョッコリと出て来たので、嬉しくてずっと眺めている私はやはりかなりの時計好き😊❤️

新規に購入したDJI Osmo Action 3と歴代のアクションカメラ達

DJI OSMO POCKETの上でヘソ天で眠る“はちちゃ”と角に乗っている“はちくろ”の子猫。
なんでDJI OSMO なん?これはフラグね。
もう少ししたら回収します😁とFacebookに書いたのが4月2日のこと。

DJI Osmo Action 3が発売された2022年10月当初は47,300円でした。それから1年経った2023年9月にOsmo Action 4が出たときには40,000円を少し超えたぐらいが実勢価格になりました。そして2024年2月中旬にメーカーサイト価格がなんと30,000円を切る29,700円になっていました。
今までの実勢価格が35,000円前後だったので戦略的な価格設定をしてきたようです。新しいAction 4(CMOS 1/1.3)と3(CMOS 1/1.7)の違いはほぼ受光素子のサイズだけらしいです。

4月1日にAmazonで注文してしまいました😄何で4が出ているのに3なの?そりゃ価格ですよ価格。3万円を切ったんですぜ旦那❗️
DJI Osmo Seriesはこれが二つ目です。最初は2019年8月に42,590円で買ったOsmo Pocket(初代)ジンバルカメラ(写真4)です。

アクションカメラとしてのメインツールはGoProで、初のGoProは2015年に7月にHero 4 (Silver) アドベンチャー (写真1) を44,980円でCostcoで購入したのが最初の出会いでした。
手ぶれ補正も何もないベーシックなアクションカメラで、防水ケースに入れないと本体だけでは防水機能は全くない軽量なカメラです。
これは今でも人気があるらしくて愛用者を見かけます。
マイクがUSB→ピンシャックで使えるのも人気の理由?そして2021年3月に41,850円で買ったのがGoPro Hero 8の限定ボックスでした。

今回買ったDJI Osmo Action 3は2024年2月に価格の見直しで標準セット(コンボ)が29,700円と3万円を切る価格になったので、1世代前のGoPro Hero 11かOsmo Action 3にするか迷っていたところに価格が下がったので購入しました。
電池の持ちと熱暴走しないところが一番の魅力。
それと手ぶれ補正機能もね。

GoProは暑けりゃ熱暴走するし寒いとバッテリーが保たないなど、どう考えても未完成なアクションカメラなのに、市場評価だけが独り歩きしていて「GoPro買っておけば間違い無いだろう。」と言う安直な人たちのお陰で成り立っているような未完成なアクションカメラです。

DJIはドローンの世界では一番有名なメーカーでして、これに搭載されているカメラの良さをアクションカメラに持ち込んだものだと解釈しています。

捜し物が見つからないのにこんなものが。その2

またまた私が得意とする横道に外れます。
探し物が見つからないのにこんな懐かしいモノが出て来ました。
【MGCを作った男】と言う書籍。

多分最初は書店には並ばなかったはずで、直接新日本模型・MGCに注文して送られて来た納品・請求書が本の裏に挟み込まれてました。

MGCって何⁉️と言うあなた、若いです。
モデルガン好きの老人ならばみんなが知っている会社の歴史を綴った書籍なのです。
かくいう私も昔からのモデルガン好きでして、初めてモデルガンを買ったのは中学3年生の時に大阪市上本町にある“モデルン”とかいう名前のお店でした。
店の前ではカタギとは思われないようなやさぐれた兄ちゃんが賭け事に興じているような怪しげな雰囲気。
ここで買ったのはワルサーPPKで黒い金属製(亜鉛合金)。引き金を引くとスライドが前後してマガジンから薬室にカートリッジを送り込み、また引き金を引くと、そのカートリッジをエキストラクターに引っ掛けて排莢するという、例のタニオアクションの銃でございました。

こんな話をすると400字詰め原稿用紙何枚になるんだろ?て事で今回は省略します。(ああ,話したいけど😆)

中を見ると若い頃の国本圭一さん(今はWAの社長)も写っています。右に写っているモデルガンのWAコンバットコマンダー18,000円‼️買いましたよ。

そして次のページに写っている髭の男性は日本のモデルガン界では泣く子も黙るモデルガンデザイナーの小林太三様でございます。

このお方、奈良県奈良市の生まれでして私の住まいとは割合に近いところでお生まれになったと,お会いした時に伺いました。

会ったって?
そうなんですよ。ひょんな機会で奈良に来られた時に、北東向き商店街の中にあったお店の中で色々とお話を伺う機会を得たのです。
そりゃもううれしかったですよ。なんたって憧れの小林太三様なんですから。

この時の小林様の左腕にはTUDORクロノグラフがしっかりと輝いていたところも目に焼き付けておりまする。機械式chronographが好きなのも、この頃にはかなりの境地まで進化してました。

小林太三様は現在はご自身の会社タニオ・コバの社長をされています。
またお会いしたいなぁ。

捜し物が見つからないのにこんなものが。その1

悪化した喘息がまだ良くならないので、撮影には色々気を使うミニカー撮影は今しばらく置いといて、探し物をしていたら大切に仕舞っておいてどこに片付けたか忘却の彼方に行っていたモノが見つかりました。

モノも物、“monoマガジン(ワールドフォトプレス)2003年発行”の《王立科学博物館》シリーズ、超A級保存版‼️
APOLLO IIが月面着陸した様子をジオラマ再現した海洋堂企画制作,発売元タカラ、総監督:岡田斗司夫と言う、マニアックなオマケ付書籍です。

アポロ11号が月面した時は私は高校1年生でした。そりゃもうワクワクしながらほとんど詳細がわからないような白黒の画面で月面中継を観てました。

今ならデジタルでデータが送られてくるだろうからもっと細密なカラー映像が見られたでしょうが、デジタルカメラさえ存在していない1970年です。こんなもんです。

この映像を見た時に、宇宙飛行士の腕に燦然と輝く腕時計“オメガスピードマスター”に一目惚れしたのでした。
それから50年経ってもchronographが好きなのは変わらずで、オメガスピードマスターは私のデファクトスタンダードになっています。

また月に人間が行くところを生きているうちに観てみたいのは私だけでは無いはず🥰

追憶の日々(70歳の昔語り)

Apple Computerの販売に従事していた時、仕入れ先のキヤノン販売(現 キヤノンマーケティングジャパン)の部長だったか課長だったか忘れたが、その方から「福井さん,キヤノン一級技術CE認定試験を受けませんか?」と声を掛けられた。この頃(40歳の頃)は何をやっても楽しかったし、勤めていた会社の中は敵だらけ、しかし外に出れば味方だらけと何ともバランスの可笑しな時代だったので,迷わず「受験します」と答えて、1ヶ月ほど大阪は中之島にあるキヤノン販売に通い詰めて研修を受けました。

そして最後に試験があってしばらくしてから私の勤めていた会社にキヤノン販売の技術部の内部で“チャーリー浜さん”と呼ばれていた辻本課長、いつも笑顔の楽しい方が合格証と認定バッジと記念の工具を届けてくださった。

この時代のApple Computerの販売はキヤノン販売が独占しており、一時期は独禁法に触れて捜査の手が入ったとか入らなかったとかで、私にはとても楽しい時期でした。その後,ゼロックスもAppleの販売を始めた事でようやく平穏になったと思います。

そのゼロックスにも色々とお世話になり、あちこち連れてもらったりお客様を紹介してもらったりと、キヤノンとゼロックスと言えばOAの世界では敵同士だったわけで、私はそのどちらにも関係を持っていた怪しい男でした😎

毎日が学生の頃のように刺激に満ちていて、次から次に新しいコンピュータとそれに関する周辺機器が発表されては発売されていた楽しい時期でした。

1993年、アップルコンピュータ株式会社(現Apple Japan)の当時のCEOだった三田聖二社長からアメリカで発売されたばかりで日本では未発売だったNewtonと言うiPadのご先祖のようなものを頂いたりしたのもこの頃でした。

ハワイに招待された折にパーティ会場で近くに来られたので、「アメリカで発売されたNewtonってやつ,欲しいんです。」と伝えたら,後ろにいた原田部長に「福井さんに送るから住所と会社名を控えておいて。」と言われたのです。
後ろにいた原田部長とは,のちに日本マクドナルドのCEOになる原田泳幸さんでした。
この方、ハワイのパーティ会場で開催された音楽セッションの時にはドラムを叩かれたのです。やはり多彩な方ですねぇ。

そんなこんなで毎日が刺激に満ちた楽しい毎日だったのを今でも忘れた事はないです。はい❣️

20年以上前の戸車を交換

2002年に建てた家のトイレに使っている引き戸の動きが悪くなり、何度か掃除をしたりして使っていましたが、戸車の寿命なのか車輪には細かいヒビが入って、2個ある戸車の片側は真ん中にはクラックが入っていて、近いうちに割れそうな状態になっていたのでモノタロウで探して同じようなものを探して注文しました。

※Amazonで購入

交換したところは下のタイムラプス動画でご覧になってください。

サイドスタンドプレート

Amazonで一緒に買った汎用サイドスタンドパーツ。いわゆる下駄を履かせました。

Amazonでの価格は591円と激安(買ったときだけ低価格だった)

砂地などでサイドスタンドが食い込まないようにするのと、下駄を履かせて傾きを抑えるためです。

私のイーハトーブはリアタイヤがゴツいので相対的にバイクが倒れ込みがちなので、これを取り付けました。

傾きを修正するにはまだまだ足りませんが、地面や砂地にサイドスタンドが食い込むのを防ぐのには役立ってくれると思います。

Fiber Cam(ファイバースコープ 200万画素 内視鏡カメラ)

2023年7月に購入したデジタル顕微鏡に続き、またまたAmazonのお勧めに出てきて、その罠にハマって購入したファイバースコープです。

これは人体に使用する内視鏡ではなく、人間の目が届かないところにカメラを持ってくるための道具。

直径が7m/mで少し硬めの光ファイバーケーブルが5m。

先端のレンズの周りにはLEDライトが付いていて暗いところでの撮影を可能にしています。その周りにはネジも切ってあります。

光ファイバーケーブルにはモニターは付いていなくてLightning端子になっています。つまりiPhoneやiPadのLightningコネクタに差し込んで、iPhoneをモニター代わりにするものです。

iPhoneの画面は非常にきれいなので、モニターとして使用するのにもってこいです。ケーブルの終端近くにはレンズ先端に付いているLEDの明るさを調整するダイヤルも付いていて、消灯することも可能です。

オプションとして先端にねじ込んで使うネオジウムマグネットとフック状のアダプターも付属しています。

業者用のファイバースコープのように詰まった配管やパイプの状態を見るのに使用されているものとほぼ同一です。

防水性能もIP67となっており、水深1mの水の中に30分以上浸けていても大丈夫なように出来ているようです。

買ってから撮影してみたのがこれです。1/18スケールのミニカーの内部を見てみたり、掛時計の機械部分に差し込んで内部を見たりしました。

解像度は1600✕1200とショボいですが、静止画と動画がiPhoneにインストールしたアプリでコントロール出来ます。

アプリの名前は“DEPSTECHCAM”という名称です。

アプリはご想像通りのChina製でShenzhen Deep Sea Innovation Technology Co., Ltd.と表記されていました。

AppleのAppStoreの表記を見るとデータの収集なしとなっていますが、安心はしないほうが良いと思います。
接続時にローカルネットワークをONにするように表示が出て、ストレージはiPhone内部ではなくiCloud Driveがデフォルトになっているようなので、これは設定からアプリの“DEPSTECHCAM”を選択してアプリ内の設定をローカルネットワークをOFFにそして書類ストレージをiPhone内に変更しておくことをお勧めします。
なにせChina製のアプリですから用心に越したことは無いですね。